林檎(第4回)

僕は毎日土砂を運んでいるうちに少しずつ仕事にも慣れてきた。みんなの名前も覚えたし、酒の席でもすこしずつだが輪の中に入れるようになった。ある晩、いつものようにみんなと酒を飲んでいると後ろから背中をたたかれた。振りかえってみると吉田爺さんだった。相変わらずの無表情だったが、手にはピカピカの林檎を手にして僕に差し伸べていた。僕は礼を言って受け取った。吉田爺さんは何かをいいたそうだったが、相変わらず口をもごもごさせているだけで僕にはわからなかった。吉田爺さんはあきらめたのかまた、自分の布団のほうに戻っていった。それにしても僕はこの磨いたようなきれいな林檎をどこで手に入れたのか尋ねたかったのだが。その晩、僕はみんなが寝静まったのを見計らって部屋を抜け出し、砂利山の頂上に座ってもらった林檎をかじった。

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翌日、僕は仕事中の吉田爺さんを見た。ブルドーザーをてきぱきと自由自在に操縦する吉田爺さんはまるで別人だった。

ある朝、僕は屋根をたたく雨の音で目が覚めた。窓を開けると冷たいが風が吹き寄せてきた。遠くの林の影は白くかすんでみえる。安川さんがやってきてその日の仕事は休みだ、と告げた。部屋のあちこちからため息が漏れた。正確にいうと仕事が休みなのではなく、仕事がない、ということらしい。ここには正式な社員として雇われている人と、いろいろな現場を渡り歩く「流れ人夫」という人たちがいる。流れ人夫はの給料は日当制なので雨の日は給料をもらえない。僕もそうだった。安川さんは社員だが、吉田爺さんや緑川さんは流れ人夫である。安川さんは続けた。

「それから、手紙が来てるぞ」

安川さんは名前を読み上げた。僕にも一通届いていた。友人の山本と瀬崎の連名で、3日分の日当がでたらこの住所に送ってほしい、というものだった。最後まで頑張れ、と結んでいた。安川さんにもU市に住んでいる家族から手紙が来ていて僕にも見せてくれた。奥さんと子供が映った写真もあった。一人は小学生の女の子、もう一人の小さな弟は奥さんの腕の中だった。傍らに映る夏の日差しを受けた洗濯機がやさしい。そういえば、みんなの話題に家族のことが多くなってきたのはお盆休みが近づいているからだろうか。しかし、家族の話をしたがらない、というか、したくてもできない人もいてそのことで喧嘩もあった。ことの発端はやはり手紙だった。

「俺にも家族がいるんだよ。俺の帰りを心待ちにしてるんだ」
「嘘つけ。手紙が来たのなんてをみたことねえ」
「写真も見せたことあったじゃねえか」
「あんな古ぼけた写真、いつのころかわかったもんだじゃねえ」

二人ともすごい剣幕だったが安川さんが仲裁に入って事なきを得た。

ある晩のことである。僕は焼酎とタバコの煙の充満した部屋で気分が悪くなり、小屋からそとに出た。小さな砂利山に腰を下ろした。市街地から遠く離れてここまでくると人家も街灯もまばらである。空は澄み渡って星がきれいに見えた。小屋の方からはこうこうと明かりが漏れていて、山奥とは思えないほど、笑い声やら歌声やらの気炎が上がっている。

僕はタバコの煙を目で追いながら、遠く離れた恋人のことを思い出していた。出発の朝の心配で心細げな顔が思い出された。僕はふと、彼女の名前を声に出して呼んでみた。声に出すとそのあたりの岩陰から顔をひょいと出すような気がした。その時、背後からジョロジョロという興ざめな音がしたかと思うと、誰かが小用をたしている気配がした。暗闇で顔はわからない。

「こんなとこで〇スかいてるんじゃねえぞ」

声の主は緑川さんだった。酔っているらしく用が終わるとふらふらしながら小屋に戻っていった。しばらくして僕が戻るとみんなが一斉に僕の顔を見て笑った。笑いの真ん中には緑川さんの顔があった。安川さんも、

「おいおい、みんなからかうんじゃないよ。若いんだから仕方ないだろ」

と言ってはいたが顔はやはり笑っていた。