試練

先日、バスに乗って後方の座席に座っているとすぐ前の座席に母親と小さな子供が座っていた。子供は「とまります」のボタンをいたずらに押したがろうとしていたがそれを母親が静止していた。子供心にボタンを押すとチャイムがなって赤く光るのが楽しそうに見えるのだろう。

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二人はどうも終点まで乗るらしく母親は「最後になったら押していいから」と子供に言っていた。

やがて終点に近づいた。母親が子供にボタンを押してもいいよ、といった。私はばれないように注意しながら間髪をいれずに先にボタンを押した。皮肉なことにボタンは指を伸ばそうとした子どもの目の前で赤くなった。子供は泣きだした。

世の中には信じられないことをする人たちがいる。それを教えてあげたのだ。子供よ、強く生きていくがいい。


夜汽車

憂いを残して夜汽車は南へ走る
時の流れとすれ違うように走る

静けさが今友達なら
だまって窓にもたれよう

どこかで目覚めたばかりの
赤ん坊の声がよく響く

そのけたたましいほどの泣き声を
誰も憎むことはできない

人生が繰り返すものなら
またいつか君と出会うだろう


走り行く列車の網棚の上におかれた
誰にもなじみの菓子箱がひとつ揺れてる

その帰りを待つ人々たち
そして帰っていく人

一人の人生は
いくつかの絆でむすばれてる

その美しすぎるほどの絆を
ほどきながら汽車はゆく

遠ざかるほどきみは近づく
僕の心のレールを走って


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あっくんと煙突

国語の授業中のことだ。みんなで詩をかいてみることになった。そこであっくんが書いた詩はこんなだった。

 いつも煙をはいてる煙突
 たまには煙をすってみろ

うん、素敵だ。あっくんの家は銭湯だったから煙突はなじみが深かったのだろう。
 


理科の授業中のことだ。血液の構成について先生は赤血球、白血球とあとひとつは何でしょうか、とたずねた。あっくんの答えはこうだった。

 ケツコイタ

先生は違います、血小板(けっしょうばん)です、といった。


卒業をまじかに控えた授業は卒業文集に添える自分の好きな言葉を書きなさい、というものだった。あっくんはこう書いた。

 五十歩百歩

それがあっくんの名前とともに卒業文集に載った。それから50年近い歳月が流れた。

最近、夕暮れ時に橋の上から煙突を眺めていて、ふいにあっくんの顔が浮かんだ。

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ケツコイタ。あれから僕は血小板という言葉を使ったことは一度もない。思い出したこともない。つまり、僕があれをあっくんと同じようにケツコイタと覚えていたとしても人生においてまったく支障がなかったことになる。

そして五十歩百歩。その当時は気がつかなかったのだが、あっくんは「千里の道も一歩から」というような意味のことを言いたかったんじゃないか、と煙突を見ていて気がついた。そして一人で橋の上で大笑いしたのであった。


忘れがたい素敵な友達の話である。