自由研究:福島市笹谷地区の近代化の歴史

■はじめに

国土地理院は地勢調査のために日本全国を対象とした詳細な航空写真を過去から保有しており、それを一般に公開している。そのデータをもとに、福島市笹谷団地とその周辺の戦後の歴史をさぐろうというのがこの試みの目的である。特に60~70年代の高度成長期、全国的に宅地の造成が急ピッチで進められたが具体的にどのような計画・手法でそれが進められたかを画像から探る。


■1952年頃
戦後の高度成長期を目前に控え、まだ平地を利用した水田が広がる田園地帯

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<笹谷地区の動き>

・まだこの地区はほぼ全域が水田。
・笹谷小はあるがまだ信陵中はない(緑枠が予定位置)。
・推測だがこの時、笹谷小は中小を兼ねていた可能性もある。
 小学生時代「笹谷中」というテントをみた記憶あり。
・笹谷小は木造校舎2つと体育館のみ、まだプールはない。
・笹谷小から飯坂街道に垂直に伸びている道路は当時から重要な幹線道路として整備されていた。
・このころ、飯坂街道、飯坂線の電車から笹谷小が遠く見渡せたはずである。
福島交通の飯坂線は1929年開通、すでに営業中で、笹谷駅らしきホームが見える。しかし、この人口密度で乗客がどれほどいたのかは疑問。
・この年、正式に国道13号となる。福島南バイパス開通(1973年)まで正式な国道13号線であった。
・△エリア(黄色)の宅地化率は3%。

<世界・日本の動き>

・1950/6:朝鮮戦争勃発
・1951/9:サンフランシスコ講和会議
・1953/2:テレビ放送開始
・1954/3:ビキニにて第2福竜丸被爆




■1963年頃

団塊の時代を迎え人口が増加、宅地化がスタート

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<笹谷地区の動き>

陵中が開校。正門前の道の整備も併せて行われた。
・信陵中学の校舎は現在とほぼ同じだが、プールはまだない。一本の樹木もない殺風景な校庭。
・△エリア内では飯坂街道沿いの北端、南端(三叉路)の開発が進む。△エリア内の宅地化率はまだ8%。
・飯坂街道の東側では水田から果樹園化の動きが始まっている。
紺野商店を起点とした縦横に延びる道はこのころから水田のあぜ道として存在。
・笹谷団地エリアの一角に謎のエリアが存在している。これは団地の完工とともに姿を消すので団地開発の拠点事務所だったと推測する。


<世界・日本の動き>

・1958/12:東京タワー完工
・1959/4:皇太子御成婚
・1960/1:日米安保条約締結
・1962/2:東京1,000万都市へ
・1963/4:日本初の横断歩道橋(大阪)
・1964/10:新幹線開通、東京五輪




■1971年頃

福島市内のベッドタウンとして団地建設ラッシュが続く

 

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<笹谷地区の動き>

・笹谷小で新校舎が落成。東側、つまり体育館裏で拡張のため水田を埋め立て造成工事中。
福島市ベッドタウンとして笹谷団地完成(道場、清水、南田)。これにより△エリア内の宅地化率は50%。
桜水団地北中条団地北団地も建設開始。
・△エリア内に工場が誘致された(グリーンフォーム、ニュースタイル
・飯坂街道の東側は果樹園化がさらに加速。利益率向上が目的。
農免道路が完成し、国道4号線までつながる。
団地のはずれには遊び場だった砂利山が見える。
・松北町のはずれにゴジラの木があり、笹谷小の帰り道にはるか見渡せた。
・宅地の道はなぜか畦道踏襲する傾向あり(分析要)。


<世界・日本の動き>

・1964/10:新幹線開通、東京五輪
・1966/6:ビートルズ日本公演
・1969/7:アポロ11号月面着陸
・1970/3:大阪万博開催
・1971/6:沖縄返還協定調印
・1972/6:日中国交樹立



■1975年頃

宅地化はさらに進展、高速道路の整備も進む

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<笹谷地区の動き>

・信陵中学校周辺の宅地化が急進展。
・△エリア内の宅地化率は80%。
・笹谷小では新校舎、新体育館が完工。
・笹谷小学校脇に東北自動車道開通。シンボルの樫三本は伐採されている。
・信陵中はちょうど、新体育館の建設中か。
福島市役所・信陵支所がオープン。
・信陵中学校前の道の並びに大型スーパー(ヨークベニマル)が開店。
・団地開発の拠点だったと思われる場所は開発の波に取り残され、荒地のまま残存。最初にできたものは最後までできない、という教訓でもある。


<世界・日本の動き>

・1973/10:オイルショック
・1974/8:三菱重工ビル爆破
・1975/4:ベトナム戦争終結
・1976/2:ロッキード事件
・1978/6:宮城県沖地震
・1980/2:ジョン・レノン殺害

 

■1987年頃

宅地化はほぼ完了、高度成長時代を終え安定期へ

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<笹谷地区の動き>

・△エリアの西端の宅地化がほぼ完了、宅地化率100%達成。
北沢又小学校が新設・開校。
・飯坂街道の東側の果樹園エリアの宅地化が進展。つまり、水田→果樹園→宅地化という流れをたどっている。
ゴジラの木は伐採されて無くなった。

 


<世界・日本の動き>

・1985/8:日航ジャンボ機墜落
・1986/11:三宅島大噴火
・1987/4:国鉄民営化
・1988/7:リクルート事件
・1989/1:昭和から平成へ

 

■1997年頃

大型商業施設の郊外化の波が東側の矢野目地区に移り、笹谷は安定期継続

 

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<笹谷地区の動き>

・郊外型大型商業施設の建設ラッシュ。飯坂街道以東の矢野目地区の開発開始。
・ここ笹谷地区は安定期に入り変化は乏しい。

 

<世界・日本の動き>

・1994/6:松本サリン事件
・1995/3:地下鉄サリン事件
・1997/4:幼女連続殺人事件
・2000/11:BS放送開始
・2001/9:米国同時多発テロ

 

■2007年頃

安定期、そして東日本大震災を経てゆるやかな衰退期へと移行

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<笹谷地区の動き> 

・水田エリア中央に縦貫道路が開通。農免道路までつながる。
 その必要性はあったのだろうか(実際に交通量が少なく閑散としている印象あり)。

・信陵中の南側はずっと水田のままであったが、’16に宅地化に着手(’17年)。
    大震災被災者の避難所となる方向。

<世界・日本の動き>

・2007/10:郵政民営化
・2008/9:リーマン危機
・2009/8:民主党政権
・2010/12:東北新幹線青森まで
・2011/3:東日本大震災


■おわりに

ここ福島市笹谷地区はかねてより水田が広がる有数の穀倉地帯であったが、高度成長期に合わせて、60年代から住宅ラッシュが始まり、水田の宅地化が進み80年頃にそれはほぼ完了した。

笹谷団地は昨年’16年に50周年記念の年を迎えた。当時この団地に入った人たちもほぼ80歳を超える年齢となっている。その後、東北大震災を経てさらに高年齢化と若年層離れは加速しているに違いない。

無機質と思われる航空写真もこうして年代別に並べて眺めてみるとそうした家々の小さな暮らしぶりの変化も感じ取れるような気がするから不思議である。