林檎(第3回)

翌日、寝苦しさで目を覚ますと2階の大部屋には僕だけだった。山本たちの姿もない。薄いトタン屋根から熱がしみだして蒸し風呂とはまさにこれのことだ。さらに昨晩の酒がまだ全身に残っていてまるで動けない。枕元にはヘルメットと軍手が置かれている。しばらくすると階段を上る音がしかたと思うと賄いの女性の鈴木さんが歩み寄ってきた。

「大丈夫?」

僕はなんとか起き上がってヘルメットを手にしてジャージのズボンにTシャツといういでたちで現場の方にフラフラと歩いていった。安川さんと青木さんが図面を前に話をしていた。事情を知らない青木さんは僕を見るなり言った。

「具合でも悪いのか?寝ててもいいぞ」

安川さんは、軽く首を振って、

「昨晩、歓迎会で飲みすぎただけですよ」

と笑って言うと、僕を仕事場に連れて行った。その途中で、山本が白い旗を持って行きかうトラックの交通整理をしてみるのを見つけた。山本も僕を見つけて旗を振っていた。さて、僕の仕事は広場になった端の足場の悪いところにある土砂を一輪車で運ぶ、というものだった。確かに、ここはほとんど山を切り落とした斜面で重機が入れないのだった。

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僕は土砂を前にしてスコップを地面につきたててため息をついた。胸がまだムカついている。暑さの中でスコップで土砂を一輪車に積んでいるとすぐに気分が悪くなる。とにかく僕はその日は半分むきになって汗とも涙ともわからないほど顔をびしょびしょにして一輪車を動かした。


その日、僕は一日中、水以外の一切を口にすることはできなかった。無論、夜の酒もである。だから仕事を終えて小屋に戻ってくるとすぐに部屋の一番隅に布団をしいて寝ることにした。しかし、そこには先客があった。すでに布団を敷いてその上に正座している人がいた。僕には背を向ける格好だったので顔は見えなかったが白髪で背中はやせていてまさに老人だった。彼はここではみんなに吉田の親父とよばれているブルドーザーの運転士だった。彼は毎日、早々に布団をしいて酒を飲むでもなくこうしてじっと座っているのだった。その日は僕も気持ちに余裕がなく、変わった人がいるな、という程度ですぐに眠りについた。部屋の中では相変わらず酒盛りが繰り広げられているのは夢うつつながら分かった。

翌日は早く目が覚めた。酒の後遺症は消えていたが今度は体の節々が痛んだ。右腕も肩よりも上にあがらない。昨日の慣れない力仕事のせいである。隣を見ると吉田爺さんの布団はきれに片付いていた。重い体を引きづって1階に降りると吉田爺さんはテーブルで一人、新聞を読んでいた。朝食の時間にはまだ間があったが、僕は空腹を感じていた。賄いの鈴木さんは僕を見ると、昨晩の夕食の残りものを先に出してくれた。吉田爺さんは何やら口をもごもごさせながら新聞を読んでいた。

その日、僕は筋肉痛に悩まされ、仕事は思いのほか進まなかった。その晩の酒の席でそれを緑川さんに話すと、

「手で運ぼうとするからだめなんだ。一輪車は腰で運ぶもんだ。スコップも同じだ。男は腰だよ、腰!」

なんとなく、プロの意地のようなものを見せつけられた気がして、意味もよく分からないまま感心してしまった。

さてそれから4,5日たったある日、翌日の仕事を終えると、山本と瀬崎が話がある、と言って夕食の後、僕を小屋の外に呼びだした。二人はこの仕事を辞めて帰ると言い出した。山本はトラックの交通整理であやうく車に轢かれるところだった、というのが理由だと説明していたがそれ以前にこの生活が受け付けないのだろうと思った。二人の決意は固そうだったので止めることはしなかった。僕については経済的な理由からそれはできなかった。